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日比中学校の歴史
今の日比中学校の敷地ができるまで
今の日比中学校の敷地はどうやってできたのか 前回は、旧校舎の様子、新校舎の建築の写真を見てもらいましたが、今回は、敷地の造成の様子の写真です。 最初の写真を見て分かるように、昔、池(水源地と呼ばれていたそうです)があった部分を埋め立てて造成してできたのが現在の日比中学校の敷地です。1989年9月の写真ではまだ池がありますが、11月の写真には、池の姿がありません。90年の8月の写真では立派なグラウンドが出来上がっています。1年余りでここまで変わるとは・・・。「皆さんのおかげで、今の日比中学校があるんだな」っと改めて感謝です。
玉野市立日比中学校生徒歌
「玉野市立日比中学校生徒歌」について
本校は、昭和22年4月1日、玉野市第三中学校として、認可され、入学式(開校式) は日比小学校において、同年5月1日に挙行されました。校舎は、旧校舎(現ミネルバ) の下にあった三井造船所の社員寮を改装し、校舎として使用していました。当時は校歌もまだなく、学校の歌(兼応援歌)として作られたそうです。野球の応援等に歌われ、ほとん 一番・二番が歌われていたそうです。
作詞は、当時大学を卒業して、すぐに赴任された、須和田 秀一先生(国語)が当たられ、作曲は須和田先生の先輩に当たる、野上 義臣先生がなされました。詩はあまり練れていなく、助詞の使い方も多少疑問譜がつくところもあるとのことです。