学校案内

【学区の概要】

 玉野市の中心部に位置し,市役所をはじめ官公庁を学区に有し,宇野駅,宇野港がひかえた交通の要地となっています。

 学区面積は373.2ha,世帯数2,258世帯,人口は,4,432人。(令和2年3月末現在)

 学校教育に対しては,地域・保護者ともに関心が高く,極めて協力的です。また,PTA活動も積極的で,生涯スポーツも盛んです。

「紫雲の鳳凰」の由来

 体育館完成(昭和42年)時はプラスチック制の校章がありました。それは風化による自然破損で6・7年前落ちてしまいました。本年寄贈されました校章は鉄製黒台座に、羽根の部分はステンレス、輪郭は黄鋼製仕上げで,登校時の児童の目を洗うばかりに陽光に映えているものです。由来にちなんで「校章・紫雲の鳳凰」と命名させていただきました。

 校章の由来は、大正15年5月21日 現天皇(当時摂政・皇太子)の宇野港入港を記念して制定されたとあります。その意味するところは、「行啓を記念して紫雲を表す。紫を地色とし、鳳凰を5月の21日の20枚を左右に配し、1枚を尾羽根とした。

 内側は当時の八町内(藤井・南・中・後・畑・新地・池ノ浦・築港) の8枚を対称とした。中心は「宇」の字で校名を表した。(但し、当時は第二宇野と言われ「二宇」であった。)というのが、由来の文章のあらましです。

 その後日談に、校章図案募集と共に、校旗作製費用の募集をしたところ、目標30円のところ60余円集まって「実に堂々たる立派な校旗が出来上った。」との記述もみられます。また,「42年の体育館落成式のカスミ幕・校章の図案に間違いがあって、創案者大塚相次教諭に問い合わせて由来書を残した。」という文章が残されてもいます。

 その問題の間違いは、鳳凰図案の頭部の菱形の大きさ形にあったことが今確認されるのでありますが、本年はそれらを考証して、正統なデザインに心したものです。

 当時の軍国思想のはなやかな頃の発想という批判はありながらも、歴史の重みと、地域の人々の願いの熱さが今なお、脈々と生きづいている事を感じさせられる思いがするものです。

 卒業していく6年生はもちろん、在校生にとって単なるシンボルでなく,校章のもつ歴史の重みが一つの心のささえとなり、ほこりとして生きつづけるよう期待して、ここに記録にとどめておきます。(S61.3.20発行PTAだよりから引用)